ようのおしゃべりボックス

おしゃべりしてます。お気軽にどうぞ。

ことばにするってこと 

「ことばにする」って、ごく日常的なことだと思うんだけど、本当はそこにすごいパワーが隠れていると思うんだよね。

 

「ことばで言い表せない」なって感じること、たびたびあると思うんだけど、それって自分のいま感じている気持ちが、どのことばにも当てはまらないときだと思う。それを誰かに伝えなきゃいけないときは、いろんな表現を引っ張り出して、どうにかして、どこかのことばに当てはめようとすると思うんだけど、そういうときって大体、ちょっと違うんだけどなあという気持ち悪さが残る。でも、そういう違和感って、ほんとに些細なものだから、字にしてそれを改めて読んでみたりすると、あれ、こんなもんだったかもってすんなり受け入れちゃったりするんだよね。

自分の考えを整理するために文字に書き起こしていたら、当初とは全く違う方向に考えが進んでいったってこと、ないかな。わたしは、結構あるんだけど。それってなぜだろうって、自分なりに考えてみた。

まず、一文書くじゃん。そして次にもう一文。さらにもう一文。って文章を作っていくと思うんだけど。次の文を考える(自分の頭の中を文字に落とす)ときに、今まで書いてきた部分を基盤にすると思うの。それを、自分の考えとして「固定」するというか。文字化された自分の考えを頼りに、さらに思考して、書き進める。でも、自分の頭の中にあったものと、文字にされたものが、全く同じことは多分なくて。多少なりとも、ことばに「当てはめる」って作業をしているから、そこには若干ずれがあると思うの。本当は。

だから、出来上がった文章を読んで、あー自分てこんなこと思っていたのかあって少し意外に感じたとしても、それは元々の自分の考えではなく、自分の書いた文章が作り上げたものなのかもしれないなって。その違いって、気付きにくいものだけれど。

ことば、特に文字にすると、それが絶対のように思えてきちゃうけど、本当は頭の中みたいに不安定で、いつも揺らいでいて、いいものなのかもしれない。

でも、やっぱりことばは力強い。特に、文字は、口で言うのと違って、目にしっかりと見えるし、言い換えがあまり効かないから、余計にどっしりとした存在感。そこに書いた本人がいるわけじゃないから、一人歩きすることもあるね。

だからこそ、私たちは「ことばにする」「文字にする」ということに、もっと慎重になったほうがいいのかもしれない。とは思う。

 

わたしは、あるもの(気持ちでも、出来事でも)を「ことばにする」ということは、その、あるものが持つ世界に、自ら切り込んでいくことだと思っている。対象が、複雑なときもあるし、目で見ることができない場合も多い。日によって、立場によって、感じるものも、見えるものも、形が変わる。そんなアメーバのようなものを相手にするんだから、正しいか間違っているかなんて、本当はわかんないんだよね。(本当はね。自戒。)でも、自分なりにその世界に近づいて、見えたものや感じたものを表現するのは、大事なことだと思う。それは、自分の頭の中を通して、自分を取り巻く世界と向き合うことになると思うし、その一連のうごきが、自分自身や、自分の周りの世界への理解を、深くしてくれるんじゃないかなあ。

(いま思ったけど、それって「ことばにする」ことに限らず、表現すること全般に言えるかもしれないね。)

だから、もちろん「ことばにする」ことによる弊害はあるかもしれないけれど、わたしはことばを使って、自分を取り巻く世界に挑んでいくことを、面倒くさがらないようにしようと思うんだ。

 

なんか、つらつら書いてしまったけれど…(ここまで読んでくれた方、本当にありがとう)何が言いたいかっていうと、たぶん、こういうわけでブログを始めてみましたっていう言い訳がしたかったんだと思う(笑)

ちょっと実は、一昨日背中を寝違えてしまい、まただんだんそこら辺が石灰化しているのを感じるので、ここらへんでやめときます。

またね