ようのおしゃべりボックス

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きえて

きえて

 

かなしくはないけれどさみしい、という感情が、ひとの感情の中でいちばん透明に近い色をしているってことを。知っているのは機械だけで、わたしは名前を入力しながらなんども肯定の言葉を抽出した。ゆめのなかで死んだひとが生きていることや、愛が実在していること。都合のいい世界は破綻していつだってこわれていくことを、音楽みたいにきいている。朝から夜までだれも迎えになどこない。でんわがなると、そこに機械音が、きこえてくる世界で、わたしはともだちというものを探し歩いている。

ぼくらの星のてんさいたちは、全員生まれてくるのをやめて空の上で料理を作っている。生きる前からしんでいるかれらはそのうち分解されて酸素になるんだろう。70億人ふえたって、だれとも肩すらふれあわないから、大勢が死んだニュースに涙すらこぼれない。

 

わたしが悪魔になったのはみんなが悪い。あかいろやあおいろの信号しか見ていない。夜。昼。ともだちができなかった。それだけが原因だった。ゆめのなかの幻覚に、つれさられて殺されたいと、願うぐらいにさみしくて、かなしさだけが足りなかった。

 

 

 

最果タヒさんの詩。

大学に入り、バイトにサークルにと忙しさに溺れていたときに出会った詩。

一見充実した日々を送っているように見えるんだけど、詰め込んだスケジュールを必死にこなしていけばいくほど、私の心と体が、離れていくように感じていた。

 

かなしくはないけどさみしい。

 

自分の体の外側、殻の部分だけが、どんどん硬くなっていって、外界と自分の内側のつながりが、弱くなった。自分ではないだれかのだれかのために胸を痛めることも、だれかのことに想いをはせることも、なくなった。

無関心で、無気力。

ふと立ち止まると、自分の心の中にのこっているのは、そんな透明な感情だけだということに、気づく。

 

 

 

 

セネガルから帰ってきて、暇になった。物思いにふけり、本を読むことが多くなった。お腹がすいたらご飯を食べ、ピアノが弾きたくなったらピアノを弾き、眠たくなったら昼寝をする。

 

救急車が、けたたましいサイレンを鳴らしながら、目の前を通り過ぎた。だれが呼んだんだろう。どこに行くんだろう。目で追いながら、心が少し締め付けられた自分がいた。

 

雨の日が、好きだと感じるようになった。しとしと降りしきる雨の粒が、心に沁み込んでいく。なんだか落ち着く。家の明かりが、いつもよりあったかく見える。

 

ふと、例の詩に、もういちど触れてみた。忙しかったあのときと、抱く感想は少し違った。心と体が、また、同じペースを刻みはじめたのかもしれない。

 

ゆっくりだけれど、私の心も動いているんだなあって。この詩に、二回触れて、思ったんです。