ようのおしゃべりボックス

おしゃべりしてます。お気軽にどうぞ。

エモ。

普段は、音楽を聴きながら論文を書けるタイプではないのだけれど、たまーに筆の進むミュージックに出会う。Beirutの「Port of Call」こりゃいい。

軽快なリズムを刻むギターの波に、鉄琴の透き通ったすずしい音がキラリ、キラリと乗っかる。途中からピアノが参加すると、少し重みのあるワルツの味に。ギター、鉄琴、ピアノが織りなすメロディーに表情があり、おじさんはこんな顔して歌ってたんだろうなあと想像がついてしまう。この曲を歌ってたおじさんの顔はよく知らないけれど、メロディアス。そう、メロディアスでエモーショナルな曲なのだ。

エモーショナルな曲を聴いていると、自分のひねり出したしょうもない文章さえも、いつもの2割増しでエモく見える。あれ。わたし。いま、いいこと言っちゃってるカモ。。。エモエモエンジンに火が付き、エモエモタイムに突入する。止まらない筆。私は詩人のように、甘く切ない言葉を紡ぎだす...

 

ただこのエモエモタイム、予期せぬ中断を強いられるときだって、もちろんある。音楽を止め、少し経つと、ヒートアップしていた頭の中も少し冷めてくる。戻って、さあ再び...と思って見ると、そこにはエモエモ薄っぺらい文句の数々。数分前の自分の脳みその気持ち悪さに恐れを抱きながら、あわててBack spaceを連打する。あぶねーあぶねー。

 

毎日懲りることもなく生み出されては、Back space によって消されることになる私の甘くて切ないことばちゃんたち。

 

”私が生きている世界は驚くほどに大きくて、私が持っている知識はほんのちっぽけだ。”

今日はこのことばを葬りました。

 

エモい論文が書きたい方、おすすめです。

きえて

きえて

 

かなしくはないけれどさみしい、という感情が、ひとの感情の中でいちばん透明に近い色をしているってことを。知っているのは機械だけで、わたしは名前を入力しながらなんども肯定の言葉を抽出した。ゆめのなかで死んだひとが生きていることや、愛が実在していること。都合のいい世界は破綻していつだってこわれていくことを、音楽みたいにきいている。朝から夜までだれも迎えになどこない。でんわがなると、そこに機械音が、きこえてくる世界で、わたしはともだちというものを探し歩いている。

ぼくらの星のてんさいたちは、全員生まれてくるのをやめて空の上で料理を作っている。生きる前からしんでいるかれらはそのうち分解されて酸素になるんだろう。70億人ふえたって、だれとも肩すらふれあわないから、大勢が死んだニュースに涙すらこぼれない。

 

わたしが悪魔になったのはみんなが悪い。あかいろやあおいろの信号しか見ていない。夜。昼。ともだちができなかった。それだけが原因だった。ゆめのなかの幻覚に、つれさられて殺されたいと、願うぐらいにさみしくて、かなしさだけが足りなかった。

 

 

 

最果タヒさんの詩。

大学に入り、バイトにサークルにと忙しさに溺れていたときに出会った詩。

一見充実した日々を送っているように見えるんだけど、詰め込んだスケジュールを必死にこなしていけばいくほど、私の心と体が、離れていくように感じていた。

 

かなしくはないけどさみしい。

 

自分の体の外側、殻の部分だけが、どんどん硬くなっていって、外界と自分の内側のつながりが、弱くなった。自分ではないだれかのだれかのために胸を痛めることも、だれかのことに想いをはせることも、なくなった。

無関心で、無気力。

ふと立ち止まると、自分の心の中にのこっているのは、そんな透明な感情だけだということに、気づく。

 

 

 

 

セネガルから帰ってきて、暇になった。物思いにふけり、本を読むことが多くなった。お腹がすいたらご飯を食べ、ピアノが弾きたくなったらピアノを弾き、眠たくなったら昼寝をする。

 

救急車が、けたたましいサイレンを鳴らしながら、目の前を通り過ぎた。だれが呼んだんだろう。どこに行くんだろう。目で追いながら、心が少し締め付けられた自分がいた。

 

雨の日が、好きだと感じるようになった。しとしと降りしきる雨の粒が、心に沁み込んでいく。なんだか落ち着く。家の明かりが、いつもよりあったかく見える。

 

ふと、例の詩に、もういちど触れてみた。忙しかったあのときと、抱く感想は少し違った。心と体が、また、同じペースを刻みはじめたのかもしれない。

 

ゆっくりだけれど、私の心も動いているんだなあって。この詩に、二回触れて、思ったんです。

アンパンマン

「コーヒーおばさん」の話をしてたら、パン屋のこといろいろ思い出したんだけど、謎に「アンパン」と言えない時期があった。いま振り返っても、相変わらず謎なので、思い出代りにここに記しておこうと思う。

 

ある朝のことだった。通勤ラッシュの時間。お店はいつも通り混んでいて、わたしたちもバタついていた。おばさんがアンパンを持ってきた。「アンパンが一点」と言おうとしたら、勢い余って「アンパンマン」と言いそうになった。実際はアンパンの続くマンのmくらいのところでやばい!と寸前の歯止めが効き、「アンパンmン…」とうまくごまかせたのだが、いや、ほんとに危ない危ない。その後もたびたびミスは起きた。「アンパンm…!」とうまく逃げられるときもあれば、「アンパンマ!」と、どうにもならないこともあった。いったいどうしたもんだろう…。別にわたしはアンパンマンのファンでもなければ、その時期に彼をよく目にしていたわけでもない。何はともあれ、注意深くいるしかない。それでもうっかりするとつい、彼の名前を口走ってしまう。恐るべしアンパンマンの呪い。

 

この謎のアンパンマンスランプ、ある日すっきりと抜け出していた。あれが何だったのか、どうして始まりどうして終わったのか、いまだにわからない。

 

ほんと、なんだったんだろう。

 

 

閉店しちゃうんだって。

セネガルで、今年から新しくアパレルショップを始めた日本人の方に出会った。

そこのお店、コロナのせいで、一回閉店しちゃうんだって。

 

初めてお店にお邪魔したとき、パッと目に飛び込んでくる色の世界が美しすぎて、胸がドキドキした。初めての感覚だった。

一個一個の服が、生き生きとしていて、魂が込められているんだなって、本当に感じた。そこにかける凄まじいエネルギーが、服を通してビンビン伝わってきた。

 

そんなすごいお店が閉店だって。

 

「悔しいけれど、胸を張って日本に帰れる。絶対にここに戻ってくる。」彼は、インスタで言っていた。その潔さに驚きもしたけれど、納得もした。本気でやっている人って、こんなに強いんだ。

 

正直、自分の留学を中止しなきゃいけなくなったとき、「なんで今年に限って」と思った。

「わたしは本当に運が悪い」と思った。

でも、ふと視線をあげてみると、自分だけじゃないんだよね。

みんな、それぞれ今年の夢があって、それを思い通りにできない辛さを抱えてる。

そんな中でも、めげずにいろんな発想で困難を乗り越えようとしていて、

なーんか、みんな本当に強いなって。

尊敬するよ。

 

この騒ぎが今年じゃなかったら、って思ったこともある。でも、これが一昨年でも、去年でも、来年でも、やりたいこと、やりたかったことはそれぞれの年であるから、結局辛いんだろうなって思う。でも、それってもしかしたら幸せなことなのかもしれない、とも思う。

なんかうまく言葉にできないけど、やりたいことができないことに悔しさを覚えるって、やりたいことがなければ、なんも思わないわけで。

そう考えると、わたしの大学生活は毎年やりたいことで溢れているのかな。悔しさは、幸せの裏返しだって、思いたい。

 

こんな状況でも、新しく夢を見つけた人。計画を練り直して、再出発した人。いまだにショックから立ち直れず、途方にくれている人。夢を前に、様々な感情を抱えている人が、まわりにたくさんいる。もう一回、自分のやりたいことを考え直すときなのかもしれない。

 

ほんとは今頃セネガルにいた。フランスに行って、アイルランドにも行く予定だった。

コロナさえなければ、って虚しさに襲われるときもあるけど、

わたし、負けないよ?

ピアス

最近、ピアスを開けたいなーとぼんやり思っている。痛いの怖いの大嫌いなわたしだけど、街で綺麗なお姉さんがピアスをカッコよくつけているのを見ると、やっぱり憧れちゃう。だけどやっぱり、痛いのはいやだ。でも、したい。

たまに、耳たぶを指で挟んで、強く押してみたりする。いちばん痛くないところはどこかな、ここ、ここならいける。

案外いけるんじゃないか、と思うと、少し気持ちが晴れる。

気持ちが晴れて、開けてもいないピアスのカタログをのぞき、自分がつけている姿をちょっと想像してみたりする。

 

一通り想像を巡らせると、とても満たされた気分になる。あーウキウキ。

満足。

そう、満足しちゃう。ウキウキしすぎると、満足しちゃう人間なのだ。

 

ほんとに開けるのは、いつになるかなー。

 

ちなみに、ピアスを開けるのを躊躇している理由は、もう一つある。

パン屋のバイトでは、ピアスが禁止である。つける場合は、頭にうっすーい紙の膜みたいなものを被らないといけない。これが、とてもとても、ダサい。ちっちゃいことを気にしすぎだよ、って言ってるそこのあなた。いやいや、ちょっと想像してみてほしい。

 

f:id:Freddie88:20200531212206p:plain

 

 

なんか一生無理な気がする。

コーヒーおばさん

4日ぶりです。こんにちは。

なんか、別にサボってたわけじゃないんだけど、全然書くことが見つからなくて。

(←書くことを探すことをサボってはいた。)

で、今日も特にないので、バイトのことでも書こうと思う。

わたしの周りの人の中には、「わたし=バイト先がコロコロ変わる人」ってイメージを抱いてる人も少なくないと思う。確かにわたしは、大学入学してから今まで、蕎麦屋、パン屋、テーマパーク、ケーキ屋、派遣、フグ屋、と興味の赴くままに様々なバイト先を渡り歩いては、各地で黒い歴史を残してきた。

ある日ラインから名前が消されていたり(たぶんクビ)(ケーキ屋)(理由は言われてないけど、ケーキを落としすぎたんだと思う)、

なんとなくフェイドアウトしたり(飽きた)、

スケジュールが合わなくなって辞めざるを得なかったり(飽きたのも、まあ)、

勤務先を変えた理由は様々なんだけど、パン屋だけはなぜか続いている。

わたしが働いているのは、駅中のチェーン店のパン屋。

だから、パン屋って言っても、みんなが抱いている優雅でふわふわしたイメージとは全然違って、朝なんて、殺人的に忙しい。しかも、なんかわたしがいうのもなんだけど、お客に変なのがいっぱいいる。しかも、そういう奴ってのは、だいたい常連に多い。変だから常連になるのか、それとも常連だから変なやつになってしまうのかは、謎。

まあでも、どんなに愚痴を言っても、嫌がっても、変なやつは来ちゃうもんだ。それならいっそ、ニックネームでもつけて、仲良くなっちゃおうじゃないか。ということで私は密かに、彼らに可愛らしい愛称をつけることにした。

そんな愉快な常連さんの中でも、毎朝一番に来店してくれていたのは、愛すべき「コーヒーおばさん」。

彼女は毎朝、開店と同時にお店に来る。いや、正確にはお店に入る。お店が開く前から、シャッターの向こう側で待ってくれているのである。

彼女はパンには目もくれない。まっすぐカウンターに来て、一言、「コーヒー」と呟く。

そう、この「コーヒー」が死ぬほど聞き取りづらい。たぶん、呟いてくれていたらまだいいんだと思う。コーヒーという音が口の中で発生して、口の中で終了してる感じ。だから正確には、コーヒーなんて言葉ではなく、「ンヒィ」みたいに聞こえる。そして聞き返すと、だいぶ不機嫌になる。しかもこのおばさん、毎日コーヒーならまだいいのだが、たまにアイスコーヒーを頼んでみたりする。そのときは、「ンヒィ」の前に「アイス」の音が追加されて、「ィスンヒィ」みたいな感じで聞こえる。だから私たち店員は、彼女が「ンヒィ」を頼んでいるのか、はたまた「ィスンヒィ」を頼んでいるのかを、一回で聞き取らなくちゃいけない。これができるのは、毎朝おばさんと一緒に厳しい訓練を積んだ、ごく一部の店員だけである。

 

一度だけ、「コーヒーおばさん」がしっかりと話しているのをみたことがある。雨の日の朝、いつもよりすこーし遅めに来店した彼女は、慌ただしくパンを3つトレーに載せ、カウンターに来ると、「バスが間に合わないんで急いでください!」と言った。なーんだ、話せるんじゃん。それを言われたわたしが、急いだのか急がなかったのかは記憶にないけど、そう感動したのは覚えてる。

パン屋で最後に働いたのも、かれこれ3ヶ月前だなあ。おばさん、元気かなあ。

ホットかアイスか問題

わたし、生粋の「おうちで勉強できない人間」だから

テスト前とかレポートを片付けなきゃいけないときは、220円課金してでも(ドトールブレンドコーヒーSサイズ、またはアイスコーヒーSサイズ)カフェに行くのね。

で、そのときに毎回頭を悩ませるのが、これ。ホットにするか、アイスにするか。

「しょうもないこと考えてんなあ」と思うかもしれないけど、いや、結構永遠に語れるテーマだと思うのよ。

まず、ホットにしたとするじゃん。

やっぱホットなら、あったかいうちに飲みたいじゃん。

てか、なんか冷めたやつって、ちょっと残念な気持ちになるじゃん。

でも、課題が終わるよりずっと先にコーヒーを飲み終えちゃうと、なんだか寂しい気分になる。

だから、課題をこなしつつも、傍らにいるコーヒーを常に気遣わないといけないわけよ。

コーヒーが、先に終わってしまうのは、もう仕方のないことなんだけど、

コーヒーなしで作業しなきゃいけない時間をいかに短くするかが勝負なのね。

奴を、いかにあったかい状態で、長く、楽しめるかが大事なの。

でも、そうすると、だんだん、コーヒーが大事なのか、課題が大事なのか、わからなくなってくる。

コーヒーを頼んだのは自分なのに、結局コーヒーに自分の首を絞められるのね。

 

じゃあ、アイスにするとどうなるかというと。

こんどは、氷があるじゃん?

で、氷は、溶ける。

あの、氷が溶けて、シャバシャバになった感じも嫌なのね。

なんか、幸が薄い。

まだ、ホットなら、味は変わらないからいいんだけど、

氷溶けたらまあ確実に、おいしくなくなるじゃん。

だから、ホットの場合よりも、気遣う必要が出てくる。

 

というわけで、今のところ、アイスの氷抜きってところに落ち着いてる。

それが、ベストではないけど、ベター。

でも、やっぱり、

暑い日にはキンキンに冷えたのを飲みたいし、

寒い日にはあったかいのを飲みたいよね。